【体験談】母の肺がん(C・Uさん 50代)

【体験談】母の肺がん(C・Uさん 50代)

母の肺がん

癌の体験談

 

C・Uさん 50代
群馬県 主婦

これは私の母のことです。

 

母は67歳で進行性の肺癌を告知されました。

 

発見された時には既に脳と足の骨に転移のあるステージ4、いわゆる末期癌でした。

 

元々喘息の持病があり、数年前には肺炎で入院した事もあったので3ヵ月に一度肺のレントゲンを撮っていました。

 

それにも関わらず、どういう訳か市町村で実施していた検診で癌は発覚しました。

 

母はその精密検査の約一ヶ月間、私たち家族には一切何も伝えず一人で通院しその告知を受けたそうです。

 

私たち家族が知ったのは母が告知を受けた後、担当のドクターが決まり治療方針など今後のことを決める段階でした。

 

家族が呼ばれる事になり隠しきれなったとき、ようやく私たちも母の癌について知ったのです。

 

それでも母は明るく、「大丈夫だから」と笑っていました。

 

 

抗がん剤と放射線による治療開始

治療はまず抗がん剤と転移している脳の放射線治療で2週間の入院でした。

 

本当に末期癌なのかと疑う程に元気で病院食がまずいからと病院の売店で売っているパンを買ってはよく食べていました。

 

入院が終わり、自宅から通院で3週間ごとに抗がん剤を受けて2クール目に入る頃に脱毛が始まりました。

 

本人も理解はしていても恐らくとても辛かったと思います。ドラマのように髪を触ってごそっと抜けるのではなく勝手に抜け落ちた髪がポロポロと落ちるのです。

 

「もう仕方ないね〜」と笑って浴室に向かいブラシで髪をとかして髪を落とす母を見て本当に癌なんだとその時ようやく理解できました。

 

半年程は通院で治療を続けていました。

 

しかし、抗がん剤の効き目が弱まってきたのか、告知から半年後くらいには癌細胞の減りが悪くなってきました。

 

それで担当ドクターの勧めで抗がん剤を変える事になりました。

 

それからしばらくして、新しい薬の副作用なのか飲み始めてすぐに母はめまいがすると訴えるようになりました。
ドクターに相談すると1クール我慢して服薬しましょう、との事でした。

 

 

母の最期

そこから母は階段を転がり落ちるようにどんどん体調が悪くなり食事がとれなくなりました。心配で落ち着かない日々の始まりでした。

 

救急車で運ばれては栄養点滴を受け帰宅するどうして入院させてくれないのか、私はそんな辛そうな母を見ているのが苦しくてたまりませんでした。

 

トイレの失敗が増え、下着を汚すようになりそれを洗う私にごめんねと謝る母を見て涙をこらえる日々。

 

結局母は告知から1年後、静かに亡くなりました。

 

私には何ができたでしょうか。自問自答して苦しむ日々は今でも続いています。

 

癌は本人とその家族も苦しめます。ですがもし末期癌を告知されても最期の時まで患者を支え一緒に治療を受けるつもりでどうか過ごしてほしいと思います。

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